キャロルは廊下をてくてくと歩いていた。
黒く細長い尻尾を、垂直にピンと立てて。機嫌良く、廊下を闊歩する。
今日はお祝いの日だった。
the 5th day [ affectionate place ]
朝から孤児院の中は騒然としていた。
良い香りを醸しながら、料理を作るシスターエルモ。
それを急がしそうに、手伝うリィネと、数人の女の子。たまにロッカがちょっかいを出すため、あまりはかどってはいないようだけれど。
子ども達は各々、自分で作ったりした飾りを思い思いの場所に取り付けたり、取り合いが始まってソオルに怒られたりしながら、楽しそうに準備をしていた。
孤児院の食堂は、質素な姿から変貌していた。
「ソオル」
「んー」
シスターエルモに呼ばれ、ソオルは台所に顔だけ突き出して返事をした。
「ルミナに着替えを渡してきてほしいの。そこに新しいセーターがあるから」
「わかった」
ソオルは頷くと、きれいに折りたたんである白いハイネックのセーターを大切そうに持ち上げた。
シスターエルモの手作りのものだ。
セーターを抱え廊下に出ると、閉めようとしたドアの隙間からキャロルがするりと抜け出してきた。
自分も行く、とでも言うように一声鳴くと、ソオルの腕の中に飛び込んできた。
「おいキャロルッ!セーターが黒くなンだろ!」
ソオルは慌ててキャロルの首を片手で捕まえて、下におろす。
キャロルは不服そうだが、セーターは無事のようだった。
「ルミナ、入るゾ」
自分の部屋でもあるのでノックもそこそこに、ソオルは部屋のドアを開けた。
部屋の両端には1つずつベッドがあり、ドアから見て左がルミナのものだ。
もう習慣付いてしまったその動作で部屋に入ると、視線は左に向かう。
しかし、そのルミナが寝ているはずのベッドに、その使用者はいなかった。
「え、ルミナ ?」
「キャロルパンチ!」
「うぉっ!」
後頭部から頭頂部にかけて何かが押し付けられる感覚と、後ろから抱きつかれる2つの感覚。
頭上でもぞもぞと蠢く物体を片手で捕まえて、強制的にソオルの顔の前に連行する。
その物体は、満足げに一声鳴いた。
「ニャーォ」
「にゃーぉじゃねえゾキャロル、ルミナも!いい加減放せ、何やってンだ!」
キャロルを床におろすと、今度はしがみついてきたルミナを剥がしにかかる。
ルミナはささやかな抵抗をした後に、笑いながらソオルを放した。
「ふふ、ソオルおどろいただろ?」
「驚いてねェよ」
「うわっ、キャロル聞いたかい?ソオルは驚いてないんだって!うぉって言ったのにねえ!」
「ナゥ」
「あー!わかったよ驚いたよ!そんな目でみるなヨ!」
一人と一匹のじっとりとした視線に耐えかねたソオルは、両手を上げて降参した。
「?ソオル、なにそれ」
掲げられたソオルの手にある白いもの。
ルミナはそれを指さして、ソオルに問うた。
「あ?ああ、これ。ルミナに。エルモから。今日は晩飯みんなで食うから、これ着てこい」
「うわぁ、あったかそう…って、え?今日は僕も食堂で食べていいんだ?」
熱がなかなか下がらないルミナは、食事を取る時はほとんどベッドでソオル達の運んできたものを食べていた。
皆、外でルミナが倒れてから、外へは行かず遊ぶ時も時間も決めて、ソオルとルミナの部屋で遊ぶようになっていた。
「うん、今朝はそんなに咳も出てなかっただろ」
「うん!うん!わかった、じゃあすぐに着替えて 」
「あー!いや、まだ良いよ!」
食堂の現状を思い出して、ソオルはルミナを静止した。
飾りを作った紙やクレヨンが散乱していたはずだ。未だ誰かに見せられるような状態ではなかった。
シスターエルモの料理も、まだ完成していない。
「えぇ?なんで」
「むっ、向こうまだ寒いんだヨ!これから暖炉つけるから、暖まったらまた呼びに来る」
ソオルは目を泳がせた。
食堂の暖炉は、本当はいつもついている。ルミナもそれは知っていた。
ルミナは疑わしそうに視線を合わせようとしないソオルを見たが、ソオルにベッドへ強制的に連行され布団をかけられたのでおとなしくそれに潜り込んだ。
「今から熱上がったら大変だしナ!すぐ来るヨ!」
あわただしく部屋から出ていくソオル。
少々、いつも以上に片言気味のソオルに、ルミナは思わず吹き出してしまって、布団に顔を埋めた。
(ソオルって、相変わらず隠し事苦手だなぁ…)
「ナァーォ」
残されたキャロルが、ルミナのベッドに飛び乗って布団に潜り込んでくる。
ルミナは体を摺り寄せてくるその侵入者の体を、そっと撫でてやった。
すると、キャロルは気持ちよさそうに目を細めた。
(あったかい、なぁ)
あいた方の片手で、自分の首に、そっと触れる。
その様子を見ていたキャロルは、ぱっと起き上がると、ルミナの顔をなめた。
「心配してくれるの?キャロル」
温かい黄色の瞳に、ルミナの顔が映る。
ルミナは布団を被ったまま起き上がると、キャロルの黒い体を抱きしめた。
「ありがとう」
心配しないでと云えたならどんなに良かっただろう。
キャロルにすら伝えられないでいるこの気持ちを、どうしたら君に言うことができるだろう。
だって、伝えてしまったら、きっと何か変わってしまうことをルミナは知っていたから。
ソオル
ふと頭に浮かんだ笑顔。
願わくは、どうかその最後の時まで、その微笑みのままで。
キャロルをベッドにおろしてやると、ルミナはそのままベッドの横の机に向かった。
手紙を書こうと、思った。
世界が終るまで、あと3日。
最後の1日に、君に渡せたらと、願いながら。
ルミナはペンをとった。
その様子を、1匹の黒猫だけが、眺めていた。
2月に入ったといっても、まだ日は短く、ルミナが手紙を書き終えた頃にはもともと低かった太陽はすでに沈み切っていた。
ソオルはエルモに言われ、ルミナを呼びに部屋まで行った。
先ほどのことを思い出し、部屋の前で一旦足を止めると、深呼吸してドアノブに手をかける。
「ルミナ」
呼んで、部屋に入った。
ルミナはまたベッドにはいなかったけれど、今度はすぐに見つけることができた。
ドアの正面の窓の外を見つめながら、ルミナは確かにそこにいた。
部屋の明かりは、ついてはいなかったけれど、
それでも、月明かりが外の雪に反射して、部屋を照らしていく。
ソオルは息をのんだ。
白いセーターを着て、光に照らされたルミナは、まるで、いつか読んだ本に出てきた神の使いのようで。
(天使、みたい、だ)
ルミナは振り返ると、いつものように微笑んだ。
それにソオルは少し安心すると、ルミナのいる窓まで足を進めた。
ルミナの手前まで来たソオルは、その場にひざを付いてルミナを見上げる。
そして、本に書いてあった一説を、冗談混じりにルミナに言って見せた。
「お迎えにあがりました、姫君」
差し出された手。ルミナは笑いながらソオルのその手をとった。
「僕はお姫様よりも騎士の方がいいなあ」
「ああ?おれじゃ役不足ってか?」
「いや」
ルミナはソオルの手を放すと、小走りでドアまで駆けていき、ドアノブに手をかけた。
「それはそれではまり役だけど」
そう言ってルミナは、早く行こう、と部屋を出た。キャロルがその後に続く。
ソオルは慌てて窓の外を見た。
(良かった、これなら、アンタにしか見られない)
ソオルは袖でごしごしっと目をこすった。
照らされたその頬は赤くなっている。この色は月しか知らなくていい。
(こんな気持ちだって)
今だ世界を失いたくなと希う、思いですら。
ソオルはもう一度月を見上げると、部屋を後にした。
「げほっ…こほ……ッ」
ソオルより一足早く部屋を出たルミナは、口を押さえて廊下の壁に寄り掛かった。
キャロルが、心配そうにルミナを見上げる。
(とまれ、よ)
ソオルに聞かれてしまう前に。
(あと、少しなんだから)
少しだけしか、無いのだから。
ドアの開く音がして、ソオルが姿を現した。
その目元が、少し赤くなっていたけれど、
ルミナは、何も言わなかった。
代わりに、いつものように微笑んだ。
「…なんでここまで来て目隠し…?」
食堂のドアの前で、ルミナとソオル、そしてキャロルが待機していた。
ルミナを前に立たせ、ソオルは後ろから、両手でルミナの目を覆っている。
「気にするなョ!ロッカ、リィネ良いゾ」
ソオルの声がして、次にドアの開く音。ソオルに目隠しをされたまま歩くように促されると、微かに双子の笑いあう声。
「ソオル、もういいだろ」
ルミナがそう問うと、瞳を覆っていたソオルの手が放れていった。
その瞬間だった。
「お誕生日おめでとう!」
子ども達と、エルモ。そしてソオルの声が、ルミナにそう言った。
(そうか、今日は)
2月の始まりの日。今日は、ルミナがシスターエルモの子どもになった日だ。
それは、ルミナの2つの意味での誕生日だった。
呆けたままのルミナを、ソオルと、双子が席へとつかせた。
ろうそくに照らされたテーブルには、シスターエルモの作った料理が並べられていて、
そのどれもが、ルミナの好物で。
「エルモ、母さん」
そう言って、今にも泣き出してしまいそうなルミナを、エルモは強く抱きしめた。
「あらあら、せっかくのお誕生日なんだから、泣いてはだめよ。ルミナ」
「…うん」
「ルミナ兄ちゃん、これ、おれたちからのプレゼントだよ」
ロッカがそう言って、小さな手で差し出したのは2つの人形だった。
片方が青で、もう片方が桃色の、うさぎの形をした物。
ロッカとリィネが大切にしていた人形だ。
「ぼくもあるんだよ!」
「わたしもっ!はい、ルミナおにいちゃん!」
そう言って子ども達が渡すもの。それは、どれもその子たちにとっての宝物で。
ルミナの周りは、宝物で一杯になった。
「おれは、これ」
ソオルが差し出したのは、ソオルの大切にしていた本。そして、
「これ…」
水色の小さな傘。あの日、ソオルと出会ったあの日、ルミナが差していたものだ。
使い古して、捨ててしまったと思っていたのに。
少し不格好ではあるけど、その傘の水色は、色褪せてはいなかった。
「大切な思い出だから、ずっととってたんだ。…っても、もともとルミナのだけどな」
「ソオル、皆……でも、これはみんなの宝物で」
「だからさ」
ソオルが言った。少し気恥ずかしそうに。でも、ありったけの優しさのこもった声で。
それに続いて、ロッカも、リィネも、子ども達も。
「ルミナ兄ちゃんが大好きだから、一番大切なの、あげたいんだよ」
「な、ルミナ」
ソオルがルミナの肩に手をおいて、微笑んだ。
「おれたちの家族になってくれて、本当にありがとな」
「 っ」
違うよ、ルミナは首を振った。
(感謝するのは、僕のほう、なのに)
「言葉が、見つからない」
ありがとうじゃ足りないんだ。
この気持ちは、この世界のどんな言葉を使っても、表すことなんてできないのではないだろうか。
「何回ありがとうって言ったって、少なすぎる。僕は、今、すごく、幸せなんだ」
皆、照れたように笑っていた。
(ああ、本当に)
ルミナは思った。
(僕の一等の幸は、此処にあった)
パーティが終った後、ソオルと部屋に戻る途中に、もう一度ありがとうと言ったら、何回も言わなくていいと少し怒られた。
理由を聞いたら、使いすぎてなくなったらどうすんだと言われて、思わず笑ってしまって、また怒られた。
でも、その時のソオルの顔が、少し赤くて。ルミナはおなかのあたりがくすぐったいような感じがして。
とても幸せだった。確かなこと、はそれだけでも充分だ。
キャロルは暗くなった廊下を歩いていた。
がらんとした食堂を抜けると、そこには小さな聖堂があって、
聖母が赤子を抱く像の手前に、一人の影を見つけた。
「ニャーォ」
そう鳴きながら、キャロルはその人物にすり寄る。
「キャロル」
シスターエルモは、キャロルを抱き上げると、聖母の様に、キャロルに頬を寄せた。
その頬には、涙の跡があった。
「だめなの…キャロル。どんなに歌っても、小夜啼鳥のようにはいかないわ。どんなに祈っても、世界が消えていくのは止まらない…止めることができないのよ…」
王様が病んで、医者も家臣もみんながあきらめてしまった時
小夜啼鳥だけは、王様のために謳った。
その歌声を聴いた王様は、元気を取り戻したけれど。
世界の崩壊は止まらない。
「ナーゥ」
聖母の見つめる聖堂に、キャロルの悲しげな声だけがこだました。
その声は、慈愛溢れるこの地を惜しむように、
静かに、静かに消えていった。
第5話 終